普通の人のすごい事

広島でがんばっている普通の人のすごい魅力を紹介するフリーペーパー

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vol.30表紙

vol.30
2019年
8月1日発刊
  • すごい事
  • 233
  • から
  • 240

235

籐家具職人の店
みうらラタン株式会社
二代目・三代目

三浦 明利
三浦 祥太郎

(ミウラ・アキトシ
ミウラ・ショウタロウ)

大正から令和へと。親子で紡ぐ籐家具職人の店

fs235_sub01大正が終わりを告げようとしている1926年に創業された、みうらラタン。現在、同社の社長を務める二代目・明利さんは初代に弟子入りしてから半世紀以上、家具職人として腕を磨いてきた職人中の職人だ。その職人技を見込んで、歴史的な籐椅子の復元や美術館への出展依頼が舞い込むほど、明利さんの手仕事は各方面から高い評価を得ている。
しかし、いまの世の中は決して職人にやさしい時代とは言えない。明利さんもこれまでに廃業する同業者を数多く見てきたそうだ。そんな中、どうしてみうらラタンは生き残れたのかと尋ねると、明利さんは「それは三代目のおかげだね」と言う。新しいビジネス感覚を持った末っ子の祥太郎さんが経営に加わってくれたおかげで、明利さんは何も心配することなく、仕事に打ち込めるというのだ。
「三代目が会社を継ぎたいと言った時、自分に50万円出資してくれと言ったんですよ。それでお父さんがずっと職人として生きていける環境をつくるからと。すると本当にその通りになるんだからたいしたもんだよ、うちの三代目は!」
fs235_sub02そういって笑う明利さん。職人かたぎの父と新しい時代感覚を持った息子、そのナイス連携ぶりが実に微笑ましい。
実際、祥太郎さんが経営に加わってから、インターネットを通じて同社の市場は全国に拡大。職人の手技を大事にする一方で、東南アジアと連携して、大手リゾートホテルや有名旅館等に納品できるほど、十分な生産キャパも持つようになった。令和元年を迎えた今年は、いよいよ三代目が社長となり、二代目は会長職に就くという。大正・昭和・平成・令和と、幾つもの時代を乗り越えてきた同社の今後が楽しみだ。

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創業当初は籐の乳母車が主力商品だったというみうらラタンさん。そのため、いまも籐のゆりかごは、みうらラタンさんにとって、創業の思いを引き継ぐシンボリックな商品なんだそうです。取材におうかがいする前、同社の二代目・明利さんはこの道50年以上の職人さんだと聞いていたので、「きっといかにも“職人”という方なんだろうな」と思っていたら、見事に期待を裏切られました(笑)。

工房では大音量で洋楽をかけながら、ジーンズで仕事をするというスタイル。聞くと、「人の言うことを聞かない頑固職人というイメージが嫌いでね」とのこと。ハイカラな時代に流行した籐家具にふさわしい、粋な職人さんでした。工房のある本店にはギャラリーもあり、洋風スタイルにも、和風スタイルにもマッチする籐家具がいっぱい! 加工するにも自由度が高く、材質的に修理もしやすいという籐。家具としては、メンテナンスしながら、長く使える優れものだそうです。

新築。リフォーム・模様替えの際は、インテリアのヒントを探しにふらり立ち寄ってみるのもオススメです。特にリゾート感溢れる屋上ギャラリーは一見の価値あり! ぜひ、足を運んでみてください。

 

●籐家具職人の店 みうらラタン

(住)広島市中区西平塚町8-19

(営)9:00〜17:00

(休)日曜・祝日

(tel)082-247-6371

(HP)https://www.miurarattan.co.jp

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写真撮影:朝比奈千明 / 文:寿山恵子

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